11月のある日、深夜1時に携帯電話が鳴って飛び起きました。
「カストロ前議長が死去したからキューバに行って!」
寝起きだったので、カストロ? キューバ? と理解するのにしばらく時間が掛かりました。
海外支局で勤務する者は、24時間なにか事件事故が起きれば仕事になります。
たとえ寝ていても、遊んでいても、デートしていても、すぐに仕事モードに切り替えなければいけません。
■フィデル・カストロという男
フィデル・カストロという人物をご存知でしょうか?
私は正直、歴史上の人物としか認識が無く、カストロは一時代前の政治家と思っていました。
キューバといえば、Tシャツなどにも多く描かれているチェ・ゲバラのほうが有名ではないでしょうか。
カストロは、1959年にキューバ革命に成功し、その後米ソ核戦争の危機となった1962年の「キューバ危機」という、歴史の教科書に出てきた出来事の当事者です。その彼が2016年11月25日に90歳で亡くなりました。
ジョン・F・ケネディと同じ時代に国の指導者として生きた人物が亡くなったことが、ひとつの時代が終わったと感慨深くなりました。
独裁政治を行い、多くの人権侵害をしたと批判されるカストロですが、今回キューバに行っての取材を通して、ホテルやレストランで写真のような掲揚がしてあり、今でもキューバでは、偉大でカリスマ性があった政治家だったのだと感じました。
■ 追悼集会の取材
11月29日、首都ハバナにある革命広場では大規模な追悼式典集会が行われました。日本から参列した総理特使をはじめとして、キューバと親交のある国から要人が訪れ、革命広場には老若男女およそ100万人の国民が集まったといわれています。
世界的に偉大な政治家が亡くなり、それを取材することは私自身初めての経験でしたが、こんなにも多くの影響を世の中に及ぼし、多くの悲しみに包まれる現場に居られる事は、報道に携わる人間としてとても感慨深いものがありました。
しかし、キューバから日本に映像素材を伝送するのにはとても苦労しました。
映像を伝送するには、基本的にパソコンでインターネット回線を使うのですが、キューバでは携帯電話でネットができません。最近になってWi-Fiが使えるホテルが増えてきたりはしていますが、公共のWi-Fiスポットに人が群がったりして、通信が頻繁に切断してしまうのでデータ通信ができません。また衛星通信の機材も持ち込みが非常に厳しく、自前で通信環境を整えることは難しい状況でした。
結局、2分の素材を送るのに1時間掛かる、そんな過酷な環境でした。
映像が伝送できなければニュースにはならないので、「放送に必要な映像だけ撮る」という、報道カメラマンとしての基本を再び認識し、勉強になりました。
日本テレビニューヨーク支局で勤務していると、いろいろと苦労する場面はありますが、世界的な出来事に立ち会うことが多く、とてもやりがいがあります。
今回の取材を通して、資本主義と異なる社会の仕組みを知ることができ、また人それぞれ幸せの形が違い、自分の意見が決して正しいとは限らなかったりと、色々な視点から物事を見る大切さを感じました。
筆者
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