HDRの規格について
今まで2回に渡って、今話題のHDRに関する説明を行ってきました。
前回までの記事は、以下のNiTRoホームページで掲載中です。振り返りにご利用ください。
「その①では、HDRの概要」を説明しました。
さらに、「その②では、映像の質を決める要素」について説明しました。
そして、今回は最終回として、HDRによる効果や、実際の規格について説明をしたいと思います。
★飛躍的に広がる色の表現力
前回説明したように、現実世界の明るさは10-6~109(つまり1015=千兆倍)のレベル差があります。現在のHD放送はSDRで、102~103(百~千倍)くらいのレベル差しか表現できませんが、4KのHDRではこれを105(十万倍)くらいのレベル差まで表現できるように拡張します。
HDRというと、明るさのダイナミックレンジが広がるので、太陽のまぶしい輝きなどが再現できると思われがちです。確かにそうなのですが、それだけではなく、色域(色の表現範囲)が広がる分との相乗効果で、表現できる色の領域が飛躍的に広がるのです。
図1をごらん下さい。前回の説明で使用したカラースペクトラムを底面に敷き、高さ方向に明るさを表現した、いわゆるカラーボリュームという3次元の図です。これで表すと、従来の規格であるrec.709(もちろん、SDR)と新たな規格のrec.2020&HDRで表現できるボリュームの違いがわかります。図では、底面のカラースペクトラム上の面積は約2倍ですが、縦軸の明るさは100倍ものレベル差があるので、この図で見える両者のカラーボリューム(容積)の差は約200倍となり、両者の違いは歴然です。
つまり、「rec.2020の広色域」と「HDRの高輝度」を組み合わせることによって、色の表現力が飛躍的に広がるのです。
図1 カラーボリューム
(総務省・情報通信審議会・HDR作業班資料より)
★HDRとその効果は?
最近のカメラは105(十万倍)のレベル差を撮影する能力を持っていることは、前回お話ししましたが、この105のレベル差のある映像を、105のレベル差を表現できるディスプレイで表示すれば、よりカメラ撮影時に近い映像をディスプレイに表現することができます。最近の高輝度ディスプレイでは、それが可能になってきました。
カメラ映像をディスプレイで表示させるためには、映像のデジタル信号をディスプレイまで伝送する必要があります。デジタル伝送はbit(1か0か)を連続して送ります。従来は、規格上の工夫も加え、8bit(28=256段階)でディスプレイ側で表現できる103(千倍)のレベル差をある程度満足させていました。8bitの信号を従来のディスプレイで表示したイメージ画像は図2のようになります。しかし、暗い室内を重視して画面全体を表現しようとすると、窓外の明るい部分は信号レベルが飽和し、白く飛んでしまうのです。
最近は高輝度のディスプレイが出てきているので、例えばですが、従来の8bitの信号を、この高輝度のディスプレイで表示したとすると、図3のイメージ画像のように、全体的に明るくなってしまうのです。また、暗部も明るく持ち上がってしまい、本来表現したいHDR映像にはなりません。
そこで、HDR信号を最近の高輝度ディスプレイにきちんと対応させるべく、新たなHDR規格(図4のカーブ)を決め、効率的なHDR信号の伝送と高輝度ディスプレイでの適正な映像再現の両方を満足させることで、図4のイメージ画像のように、暗い部分は暗いまま、明るいところはより明るく、しかも窓外のように、明るい部分でも白く飛ばずに、外の景色や色を、より人間の見た目に近く表現できるようにしようとしています。
HDR規格が決まれば、どのコンテンツをどのディスプレイで見ても、きちんとHDRが表示できることになり、番組制作側、メーカー側に加え、視聴者側にもメリットが増大するので、普及の大きなはずみとなる訳です。
またbitの話に戻りますが、8bitというのは28のことなので、リニア(直線的)には256段階の表現ができます。従来のカメラ信号を図2のカーブをつけて伝送することで、従来のディスプレイでも103程度のレベル差、つまり1,000段階程度を表現してきました。今後、HDR信号を効率よく伝送するため、bit数をあまり増やさないで(10~12bit)、105すなわち100,000段階の表現ができるように図4のカーブを考え決めることが、HDR信号の規格を作ることなのです。むやみにビット数を増やすと、その伝送路やストレージなどに多くの資源が必要となり、大きなコストアップにつながるので、現実的ではありません。
時間はかかりましたが、やっと今年の夏に国際的な規格化(標準化)作業が完了したのです。
★HDRの国際規格は2方式
活発な議論の末、HDRを実現する規格(関数)は、今年の7月に国際規格のITU-R BT.2100として、
・HLG (Hybrid Log-Gamma、ハイブリッド・ログ・ガンマ)
・PQ (Perceptual Quantization、ピー・キュー)
の2種類が国際的に規定(標準化)されました。その概要を表1に示します。
日本の規格(電波監理審議会に答申、総務省令の改正)もほぼこれに準じて決められました。
表1 HDRの2つの規格
★HDRとSDRの混在
HDRの規格が決まったからといって、全てのコンテンツ制作がHDRになるわけではありません。また、その放送(配信)方式も新しいものが追加されます。さらに、表示装置(ディスプレイやプロジェクター等)も従来のSDRとHDR対応のものが混在します。
図5 HDRとSDRの混在
図5をご覧下さい。黒い実線が現在の放送です。赤い実線がHDR制作、配信、表示された場合です。これらだけではなく、赤い点線で示されるような場合も考えられ、その場合、破綻がないような運用をしなければなりません。例えば、新しい放送で放送されたHDR制作番組が、SDRで表示した場合もそこそこ問題のない画で観られるようにする必要があります。
また、場合によっては、コンテンツ側で事前にSDRとHDRの変換を行う必要もあります。
★HDR制作の課題について
先ほど説明したように、HDRの方式は2つ(HLGとPQ)あるので、相互に変換できることが望ましいのですが、その方法についても研究が進んでいます。
また、HDR環境が普及していないうちは、SDRとの同時制作の要求が高いと思われます。
まず、ノンライブ(収録もの)の場合は、広いダイナミックレンジで撮影し、ポスト処理により、HDRとSDRそれぞれに適した映像を調整する必要があります。
ライブの場合、その中でもスタジオのように、被写体の輝度の制御が可能な場合は、HDRで撮影して固定的なHDR→SDR変換で対応できます。同じライブでも、屋外でのスポーツ中継のように、被写体の輝度の制御が困難(画面内での日なたと日陰の混在等)な場合は、シーン毎の撮影意図に応じて、HDRとSDRに独立した映像調整が必要になります。
また、視聴者が快適に視聴できるようなHDR番組の制作のためには、音響ラウドネスメーターの映像版のような、ブライトネスメーターが必要で、ブライトネスの基準を設ける必要があります。それは、画面の平均輝度で良いのか?ハイライト部分の面積、輝度で良いのか? 引き続き、様々な検討が必要です。
★HDRの今後
今までお話ししたように、国際的にも、日本国内においても、やっと約束事が決まり、それに従った映像制作が始まろうとしています。4K・8K番組制作では、HDRの規格化により、前回説明したように、映像の質を決める5つの要素が出揃ったことになり、これまでにない画期的な映像表現が可能な時代を迎えました。
日本では、今年の秋より、スカパー!がCSによる4K衛星放送の一部でHDRを始めました。また、BSによる4K・8K試験放送においても、まもなくHDR放送が始まる予定です。放送における主な方式としては、SDRモニターと互換性が取りやすい、HLG方式が採用されています。さらに、ネットやIPTVでも4K・HDRの番組の配信が始まっています。
★まとめ
まだまだ始まったばかりのHDRの世界です。
番組制作に必要な機材の進歩、ディスプレイの進歩もこれからです。我々も未経験のことがたくさんあります。衛星での4K・8K実用放送は2018年~2019年にかけて始まる予定ですが、試行錯誤を続けながら、HDR制作の手法を身につけ、より効率的で、高品位な映像制作ができる体制を整えていきたいと思っています。