私達、NiTRoリオ五輪ENG取材チームは、先発隊として2名が7月14日から8月26日までの44日間、続いて後発の8名が7月27日から8月25日までの30日間という長期間の日程で取材に臨みました。
実際の競技会場で取材を行うことができる技術スタッフは、この10名に報道の2名を加えた総勢12名と限られた人数であったため、日本勢のメダルラッシュとなる大会となり、とても忙しい日々を送ることとなりました。
まずは、世界でも有数の治安の悪さを誇る、リオ・デ・ジャネイロでの取材ということで、機材の盗難や強盗事件に巻き込まれないよう、常に緊張感を持って業務に当たりました。
幸い、総勢8万5千人導入されたと言われる軍・警察の警備のおかげで、私達クルーが被害を受けることはありませんでしたが、期間中、選手が襲われたり、メディアバスが襲撃されるなど、一歩間違えると自分達が巻き込まれてもおかしくない状態での取材は、海外取材ならではの難しさを感じました。
そして、私の現地での具体的な業務ですが、カメラマンのサポートをしつつ、音声業務を担当する事がNiTRoのスポーツENG取材での「カメラアシスタント」、通称CAの主な業務です。
しかし競技会場のENGカメラポジションは数に限りがあり、その少ないポジションを各国メディアで取り合うこととなりました。どの競技会場もカメラポジションには多くのメディアが集まるため、会場によっては撮影ポジションにはカメラマンしか入れないことも多々ありました。その場合、CAは「ミックスゾーン」と呼ばれる、競技エリアと控室との間にある取材用の場所で待機してインタビューに備えるのですが、ミックスゾーンも各国メディアで大混雑でした。そこでインタビューの前にミックスゾーンを整理して、場所を確保することもCAの重要な業務となりました。私が取材した柔道の場合は、順位が確定した試合の直後にインタビューすることになっていましたが、トーナメントでの試合のため、序盤で日本選手が敗れた場合は、すぐに対応しなければなりません。
そのため、日本メディアの他局のVEさんと協力しつつ、時には海外メディアに「日本人のインタビューの間だけ場所を入れ替わってください。」とお願いして、場所を確保していました。
また、逆に、海外メディアに「場所を譲ってもらえませんか?」とお願いされたり、「南米の選手は撮らないだろ? その間脚立を貸してくれないか?」と言われて脚立を貸したり、また、会見場では会場から頂くPA音声のレベルが低すぎて困っていたアメリカのカメラマンに、ミキサーを通して増幅したLineアウトを渡してあげたりと、海外メディアとの交流も、五輪取材ならではでした。
今回、初めてのオリンピック取材を通して、会場の熱狂を肌で感じ、さらに一番高いところに掲げられた日の丸を間近で見て感動し、改めて4年に一度のオリンピックは特別なものだと感じました。
2020の東京五輪では、今回の経験を活かし、さらに技術を向上させ、今度はカメラマンとして、間近で感動を味わいたいという、モチーベションを掻き立てられる大会となりました。
筆者